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「真実」について(1)

初めて私が哲学に触れた時は、高校1年の時の教科書「国語1」の中の 哲学者、大森荘蔵による随筆「真実の百面相」です。 教科書には、 有名小説の一部分の抜粋や、古文、漢文といった過去のものが多く載る中、 同じ時代を生きている方による人間洞察の随筆は、 まさに高校生の国語の教科書で読むべき内容だと思えます。 その内容は、 「真実は常に変容し、様々な姿になって人それぞれの目に現れる。 たとえ、真実が固定されたものと仮定しても、 それは人それぞれの見方により、真実が分散されるが、 それら全てが真実であり、百面相の1面である」という。 そして、 芥川龍之介の小説「薮の中」をあげて、「一つの事件の当事者 それぞれが違った証言をした事は、むしろ常態である」と。 この事から、「薮の中」のタイトルの上には、 「真実は」が隠されている事に気づきます。 当時の私は、 それまで、「真実」を始め「正体」「本当」「正真正銘」と 言った事柄や常態は、たった一つしかないと思っていましたから、 とても破壊的な考えの印象でした。 その反面、新しい考えによって、自由を得たような開放感があり、 ずっとその内容だけが忘れられなかった…(作者の名前は知らずに) しかし、 私は小さい頃から、漠然と何らかの表現に携わりたいと思っていましたから、 表現作品は、(一時的としても)一つの答えを出さなければなりません。 たとえ、その答えが観る人によって変容されると分かっていても。 ですから、全てを包括した「真実の百面相」を、 一つの定義(形体)にするにはどういった素材や表現方法が良いのか… また、分かり易く、伝えられるのか…と 20代前後はその事ばかりを考えていました。 そして、 その(私独自の)答えは直ぐに見つかりました。 コンテンポラリーアートとして、私の第1作目となった作品。 その作品形体と結末を、次回、皆様にご紹介したいと思います。近いうちに。