投稿

12月, 2003の投稿を表示しています

リボンのない贈り物

イメージ
今迄に私は数多く贈り物を頂き、そして私も様々な方へ贈る機会がありました。 旅行のお土産、入院した時のお見舞い、お誕生日やクリスマスのプレゼント、 また、それはお手紙という形でもあります。 私にとってとても印象に残る2つの贈り物には、 共通するものがあります。 まずは、ジャスミンの贈り物です。 こちらのHPのどこか隅に記した、 私の大好きな香り…ジャスミンの事を ご覧くださったのでしょうか。 その無造作に摘まれ束ねられた花束は 自然そのものの状態で、とても野性的で 存在感ある香りを持っていました。 自然を人工的なセロファン素材で綴じ込め、 そしてリボンで縛り付ける花束よりも ずっと素晴らしい贈り物を私は頂きました。 私の誕生日を知った先輩が、私の専用のMACにある設定をしていたようです。 誕生日当日、私はいつものようにMACを立ち上げボーッとそのモニターを 見ていると、いつも起動時に出る「Welcome to Macintosh」の表示が、 「Happy Birthday」になっていました。 自分の誕生日を忘れていた程忙しかった時に、 思いがけないその行為によって、素敵な1日に変わりました。

出会いについて

私はこの職業に就いて、3つの役割(作家/オンラインショップ運営/教室の講師)を 持つ事もあり、様々な方々と出会う機会が増えてきました。 会社の中の1社員としてではなくて、はじめから私という等身大目がけての 出会いの中で、私流の相手に求めるコミュニケーションが分かってきました。 その方を「知る」(=理解する)手段が、過去の経歴でも現在の「位置」でもなく、 「物の見方」や「考え方」に重点をおいているという事です。 年齢は?どこで生まれ、最終学歴はどこか?どの会社?資格は? などはあまり重要ではありません。 それらは、いずれもなにかに依存していた(いる)状態の貴方であって、 貴方そのものではないからです。 このように「なに?なぜ?」という過去や固有名詞などに対する興味や疑問は 物理学の公式を理解しようとする生徒のように見えます。 人間は当然ながら考えたり感じたりする存在ですから、 「知る」のではなくむしろ「感じ、理解する」へ変えたい。 手にとって触れたり、目で見えるものなら簡単です。でもあえてそれは避けよう… 実はそれらは理解する上で障害物になります。 難しいからこそ、時間という物理的な存在を忘れて楽しい一時を味わえる…。 さてそんな出会いとは?例えば… あるバーのカウンターで、たまたま偶然出会うもの同士が 楽しく充実したお話をします。 お互いに名前も職業も明かさぬまま、それぞれの未来の夢を語り合います。 そして、次に逢う約束もしないで別れる。 この時、携帯電話やメールアドレスを聞くことも名刺交換をする必要もありません。 また次に会えるかどうかという楽しみを残す別れ方です。 生真面目で儀式的な日本人には難しいでしょうが、このような観念を越えた ミニマムなコミュニケーションが、仕事上で出会った相手にもあっていいと思うのです。 相手の名前や会社名を知ってしまった以上は、これ以上障害物を増やさない形で。 ひとりの人間、あるどこかの人間として。