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沖縄にて、改めて思うこと

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昨年の年末は、寒さを逃れて沖縄(本島)に行きました。 私は小学1年生の(石垣島)以来で、様々な面で「初めて」と言ってもよい沖縄でした。
那覇空港から車に乗り、最初に行きました豊見城市瀬長の海岸には、原形のない珊瑚の死骸が真っ先に目に入ります。
滞在中は12℃前後と寒く曇り空が続き、海上は常に黒い雲が覆っていました。

写真は、滞在したホテルからの眺め。正面の大浦湾の向こう岸にある辺野古基地は、肉眼では1km程の近さに感じますが、地図上の測定では、3.7km程あります。
滞在しましたホテルは、辺野古が大浦湾沿いにあるリゾート型ホテルでしたため、改めて以前より感じていた普天間と辺野古基地について、個人的ではありますが現在の見解を残そうと思います。

こちらのホテルは、普天間基地からの辺野古移設の最初の合意1997年と同時期にオープンされました。もし辺野古へ移設される際には、滑走路が大浦湾側に伸びる想定で、ホテルにとっては自然を満喫しながら「癒しやリラックス」すること、はほど遠い景観になり、運営が厳しくなると感じました。 また、辺野古周辺は、住民が少ないと言いましても保育園や学校はあり、東シナ海や南シナ海から反対側に位置しているため、ベストな移設先とは言えるでしょうか。

しかしそれ以前に、安心を求める周辺住民の声は、なぜ当然のように政治の最終決断にならないのだろうかと。世界一危険と言われる普天間基地も速やかに閉鎖するべきだろと思います。 なぜなら土地は住民のものであり、「安心」はその方々が実感して結果得るもので、政治の考慮する「安全」は安心とは結びつきません。基地が無くなり、結果として漸く住民の安心に繋がるのだと感じます。 また、あらゆる外部の意見(沖縄の県民性や沖縄の基地の必要性、基地の無い沖縄県の経済への影響など)を拝見しても、やはり、何よりも住民の気持ちを最優先にするべきだろうと思います。このことから、基地が必要であるならば、より適した場所を改めて模索するべきではないでしょうか。
そしてこの問題に関わらず、日本のアーティストと言われる表現者は、自国のあらゆる問題に関して、個人の見解を日常的に述べて欲しい願いです。知名度や認知度の高い表現者ほど、それを強く感じます。

最後の仕事

2,3年前(から)のことでしょうか…、
離れて暮らす、仕事を止めて1日中退屈をしている父に、
自分自身のことを書くように勧めました。

最初に伝えましたのは、
母からの電話で父が病気になったことを知った時です。
自伝でも自叙伝でもなく、今迄生きてきた中で
「最も大切にしてきたこと」を綴ること、を。

父は昭和6年生まれです。
時代背景と自分自身の状況を思い出しながら、
感じたこと、考えたこと、大切にしてきた想いの書は、
世界でひとつしかありませんから、そのものが貴重です。
文字という限られた表現要素を並べながら、
自分の人生を振り返ることも、一定の納得が得られ、
自分自身にとっても、その作業は重要ではないでしょうか。

その後も2,3回は実家へ帰省するたびにペンを取るように
勧めましたが、少しずつ病気は進行して…
その後、父は本当に書いてくれたのだろうか…と、
確認することさえ、もうしなくなりました。

しかし、私自身は文字としての記録を残すことを
すっかり止めていたことに気付き、
暫く休んでいたブログをまた綴ろうと思いました。
自分自身のために。

取り扱いカードから見えてくるもの

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夏の間、炎の猛実験をしてから、今になりその成果を次の教室で伝える時がきました。晴れて作品として形になり、そして教室の最後に渡します取り扱いカードの作業も終えて。

実験の目的は、当初多くを望まない純粋で最小限のものですが、納得のいく結論へ辿り着くための試行錯誤で、前後左右と想像以上に枝葉に分かれた実験になることは、常にあることです。実験している期間は、観察から離れたトイレやシャワーを浴びている時も、「なぜ」や「いかに」を自問自答しながら、次への実験条件を考えます。

実験で心がけていることは、常に最後の実験だけを意識せず、時折、今までの実験を全て総復習すること。膨大な量の実験になればなるほど、道すがらの私自身の思考を振り返ることが、案外結論が早まることが多くある、という経験も積みました。僅かな差による繰り返しの実験の中で、最終的にどうするのか?の結論は、結局、感性によるもので「根拠のある感覚」です。

私の実験そのものの目標は、「最小限の時間とシンプルな材料で、最大の結論を、楽しみながら得る」こと。努力や忍耐力を試す場ではない…そのように意識しないと、ひとりで何十年と実験は続けられないかもしれません。

試行錯誤の末に、漸くひとつの作品(炎)を生みだした作者は、その全てを知っています。その作品の性格と扱い方や楽しみ方を知るのは、作者の右に出るものはいない。そう願っています。そのため、もし作品が作者から離れる時は必ず、知りうる限りの全てまとめて、取り扱いカードに記し添えます。取り扱いカードは、作品の奥に隠された「ものづくりへの姿勢」が読み取れるものです。

未来のセラピスト

新たに開設したレッスンのガイドの原稿に追われています。
新レッスンは、アロマキャンドル作りに於ける
精油のブレンディング法に特化した内容です。受講生への7つの質問のご回答をもとに、レッスンで使用する精油10種を選び、その日だけのガイドを毎回作成します。そして、実際に選び、選ばれた精油を目の前にし、その分析と私の考察や経験を盛り込み言葉にしていく作業には集中力をもってしても時間がかかります。化学的分析に限界のない精油の存在に、セラピストではない私の実経験を超え、いかに説得力のある言葉に変えられるか、いつもそのようなことを思いながら。

出来る限り書籍も、偏見なく目を通していきたい中で、太田奈月さんの著書『香りの「精油辞典」』に惹かれました。本書には、「アート&サイエンス」と副題にありつつも、他書との特異点は、55種の精油をそれぞれ人間に例え、全精油の各紹介最後の1頁分をこのコラムが占めている点。「この精油は、このような化学成分があるから、この状態や心理の時に合う」が通例の紹介ですが、精油そのものを人間に例え、ユニークなストーリー展開をしているのは、精油をより身近に親しんで欲しいという思いが伝わり、アートやサイエンスという前置きがなくても、信頼のおける良質な内容でした。

フっと、いえ常に思うことですが、将来近い未来に広く深いデータを持つAIが、嗅覚センサーを得る日も近い中で、AIのセラピストも生まれ、やがて一定の需要も出るかもしれません。そのような未来であっても、人間のセラピストが必要と思える点は、目の前にいる方(クライアント)の内面性を感じ、こうなって欲しいという理想などを汲みして、様々な試行錯誤と直感の集大成が、満足のいくセラピーに向かうと感じるからです。

セラピストで学ぶ知識は、嗅覚のメカニズム、精油の構造、化学成分と人体への期待される効果、精油の人体に於ける経路、その適した使用方法、さらに中医学(中国医学)、占星術…とまだまだあるのでしょうか…これらをただ文字として覚え理解するだけではAIに負けるでしょう。

未来のセラピストでは、いかに相手に寄り添い同じ方向を見つめながら、さらにその先を無理せず誘導できるか、それが「突出して」出来る方である上に、知識量や経験量とは全く関係のない「人間力」のある方が、有力になるように感じます。


あいさつ(挨拶)の思い出

私が小学校低学年だった頃
毎朝登校すると、用務員のおじさんが椅子や机を直していました。
用務員室は、学校の玄関近くにあり、
狭く暗い室内でひとり、いつもドアを開けて作業をしていました。

私は、毎朝その前を通り、
「おはようございます」と元気に挨拶をしました。
学校も先生(大人)も嫌いでしたが、この時は、笑顔になれる瞬間です。
その返す優しい笑顔で、学校生活を乗りきったと言っても良いでしょう。

学校帰りは 背後から「さようなら」と 振り返り際に挨拶をして貰い、
その自転車を漕ぐ姿を、曲がり角まで目で追いながら帰りました。

私の小学校は1クラス42名前後が5クラスあり、
全学年で1200名以上の大きい学校した。
用務員の仕事は、さぞ忙しかったに違いありませんが、
70代後半でボランティアだったのだろうと思います。
担任の先生には目が合わない日があっても、必ず目が合う人で、
当時は、私を温かく見守ってくれる人だと感じ、
同時に仕事への感謝を、挨拶に代えていたんだと思います。

3年生になった頃のある日、私が帰宅すると母が言いました。
用務員のおじさんが家に来て、
「こちらの娘さんに、いつも元気に挨拶をしてもらい嬉しかった」と仰り、
今日で仕事を辞めることを告げに訪ねられました。
これが私への最後の挨拶でした。

めったに褒めない母から、私は褒められたようで嬉しく感じましたが、
もう学校で用務員のおじさんに会えない寂しさといったら…
当たり前の挨拶が、その時から貴重な行為に変わりました。

私の娘には、挨拶の魅力を伝えています、
笑顔が忘れられない、この思い出とともに。

クリスマス・バースディー

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私の娘が、12月25日で4歳の誕生日を迎えました。
いちご4つが乗ったクリスマスケーキを食べ終えたら…



リビングで静かなピアノ・ジャズをかけて、オレンジ色の灯りを楽しむ



今年の演出は、いつものキャンドルホルダーに、
私の手作りキャンドルを組み合わせた速攻的簡易な演出でした。
時間が無い準備だと、こんな有り合わせ程度です…
娘が辛口批評家になる歳迄に、もう少し華やかに拘りたい。


パッケージづくり4

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長らく注文を受け付けてはいませんが、
例外で、納期を伸ばして頂ける場合や、商品を私にお任せ頂ける場合は
承けさせて頂いています。
そして今日は、3週間近く前にご注文頂いた方へ、
完成品のラッピングにとりかかっています。





随分前に考案し制作し続けている、
とても人気のあるカヌレキャンドルです。
ラベルは当時作成したままのデザインを使用します。
リボンも当時のまま。色も太さも、その仕方も。
過去の私は、未来の私からダメだしのしようがないくらい、
拘っていました。





アルミカップの底には、リボンを固定するためもあり、
円形の取り扱い説明シールを貼ります。
しかし、これでは、きっと存在に気づかず、読まれないでしょう。
そのため、更に外箱の背面にも、貼る面に合わせたサイズの取り扱いシールを
貼り、灯しながらでも読んで頂けるような位置とデザインにします。





外箱の上面です。
箱の両脇にリボンを付けて、蓋の上で結びました。
箱を開ける前に、リボンを解くひと手間を与え
ご対面直前の、ドキドキ、わくわく時間を少しだけ伸ばしました。
リボンとラベルだけで非常にシンプルな構成ですが、
「抑制」されたデザインは、この時代に、
この民族には「らしい」のではないでしょうか。


Atelier PearlRoseのキャンドルレッスン