令和の運動会

10月上旬に、娘の小学校最後の運動会を終えました。運動が大好きで活躍していた娘ではありましたが、私はやはり、運動会全体の懸念している点を今回は綴ろうと、毎年学校から配布される「運動会感想用紙」(Q1運動会全体について/Q2会場について)を見て思いました。本紙を提出する際は、家族にも一読し了解と(一部に関しては)共感を貰えましたので、娘に(自信を持って)学校へ提出して貰いました。内容は以下の通りです。

Q1運動会全体について(各学年の団体演技・競技・演目など)
本紙を、校長先生をはじめ多くの先生方に目を通して頂き、来年度に向け根本的に改善されることを祈りながら、今年は6年最後として記します。本校の運動会は、観覧者のためのショーになっている点を指摘させて下さい。私は昭和40年代生まれですが、私の小学生時代と変わらない昭和から続く形態の運動会だという感想を抱いています。団体演技がなぜ必要なのか?運動会の内容は、なぜ児童達が決めていないのか?運動が苦手な児童を含め、全ての児童達が主役になっているのか?運動会は、児童達が自ら決めた計画的内容を全力で決行できる場になることが、私の最高の望みです。教育の場において、運動会を含むあらゆるイベントが、教科書からは学べない「自由と責任」を体感出来るチャンスであり、各児童の成長に繋がる貴重な一時であって欲しいと願っています。そのチャンスの場をつくるのは、校長先生をはじめ先生方であろうと感じています。本校の運動会が、令和時代における前衛的で革新的な内容に変革したと、在校生を始め、卒業生や後世の児童達が思える学校にして頂けるように願っています。 

Q2会場について(観覧スペース、休憩スペースなど)
私が6年間感じ続けたことです。「本部、関係者、放送、救護」のテントがございますが、これらの席にテントは必要でしょうか?むしろ、主役である児童達にこそ必要ではないでしょうか?【補足:「本部、関係者、放送、救護」のテントは、始終校舎の陰になり、陽が当たらない。この席に座る関係者には、商店街会長や区議会議員、過去に教壇に立った先生達や元校長が着席されています。また、基本的に校庭が狭く、外側を巡る通路(保護者の立見エリア)の幅は1mも満たない。写真参照:黄色冊子の会場図】
児童達の席は殆ど直射日光が当たり、危険です。改善点は、「本部、関係者、放送、救護」のテントを、現時点の「ゆずり合いテント」に移動されるか、テントを取り除いた上で、縮小して頂くことが望ましいと感じています。この特等席の存在が、運動会は、児童が主役ではなく、大人達の「ショー」の象徴だと感じます。そして、こちらの空いた場所を、児童達の記録を取る父母の席にして下さい。父母は、主役である児童達に最も近い存在です。父母は、子供が将来思い出を懐かしむ、人生の大切な記録係であり、この係りの代理人はいないことを今一度考え直して頂きたく願います。来年、再来年に期待をさせて頂きたく、感想と提案を述べさせて頂きます。 

と、コメントを綴りました。配布されたA4用紙1枚では足りず、2枚目はコピーして提出しましたが、3枚目も必要でした。団体行動、一律、統制を根底に演技を披露しています運動会では、個の能力は決して伸ばしていません。みんなが一つにまとまることにどのような社会的効果があるのか、未来以前に現行の世界状況の中の日本の位置付けを教育者が敏感に感じ反映して欲しいと感じます。運動会の慣例行事の内容に違和感を抱かず感動をされています親族の方がいましたら、この部分においても考え方の変革が必要なのかもしれません。私は教育の専門ではないものの、教育現場こそ未来に向けた能力を伸ばせる最も多い場であるべきだと感じますし、さらに広義に考えると、血縁関係以外の全ての子を、大切な子供と思える大人であるかどうか、そのような大人が増えていかない限り、教育の場面場面における、小さなことさえ変えられないような気がします。


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