自由研究に求められること

4年前から、今頃になるとこのことを考えない日はありません。
小学生の娘の夏休みの宿題である、「自由研究」です。

自由研究は、理科が始まる小学3年生から夏休みの必須課題になりますが、その題目は、科学的な実験による現象を研究するだけではなく、「自由」の前提で、過去から未来のあらゆる事物や現象、既存の制度や目に見えないものまで無制限に広がります。
しかし、夏休みの限定した期間に、研究(実験+観察)、考察、結論、後記(感想)へとまとめ、2学期の始業式までには仕上げなければなりません。

私の小学生の頃は、自由研究の課題がありませんでした。幸い子供がいることで、共に自由研究の充実した楽しさを経験できました。それも、今年で最後だろうと感じると、その可能性の豊かさや要望を改めて考えたく、以下4項目にまとめました。

まず最初に、動機の部分、何を研究するか、という最初の段階で多くの可能性を感じます。小学生ですと、動機付けは、自分自身の興味や身の回りの知的好奇心から探求が始まり、そのような内容が、配布された募集要項にも提案されています。(写真掲載)しかし、高学年でしたら、個人的なものを超えて、家族、地域、日本、社会的問題など、本人を含め、より多くの他者のために追及した内容ほど、研究の必要性(価値)が高まり、それらが認めら評価された時には、なにより本人の内面的な成長に大きく作用するはずです。また日頃から、あらゆる制度や現象などに対して、疑う精神、関心を持ち続けることも自由研究の動機に繋がりやすく、その精神は、社会に出た時に生かされることと思います。

二つ目。
本当の答えは、自分自身で生み出す大切さを学べる点です。
書籍やネット上に探しても答えはなく、自分の物差しで追及しながら、また、改めて自分自身の考えを言語化していくことで、個性の形成に繋げられます。学校での画一的、一方的な教科の多さを感じる中で、個々を認め合う多様性のある自由研究の意義は大きい。

三つ目。
自由研究を読む多くの方は、何を楽しみにするかと言えば、最後の結論です。いえ、結論からどのようなことが分かったか?でしょうか。中盤の試行錯誤や研究をいかに結論づけ、未来(次)へ活かすかが最も知りたい部分で、自由研究の工程の中で、論理的な構築やプレゼンテーション能力が養われる部分です。

四つ目。
自由研究はグループで行うことこそ、一層有用になるということ。
低・中学年では、家族が一緒に共にすることがベターです。社会の先輩であり最も身近な存在である親と、一つのことを深く考え、対等に意見やアイディアを出し合える機会は、人生に於いても貴重な時で、今後、社会にでて仕事をする上でも、役立つでしょう。また、カメラやパソコンといった道具を使用する場合や、自分自身を撮影する場合は、ひとりでは限界があります。
中学生以上でしたら、同じテーマに共感する友達同士のグループが良いのではないでしょうか。小さい頃から、相互の考えをしっかり伝え合ったり、深い議論をすることをここで身につけられれば、生きた教育にもなるだろうと思います。


2学期の始め9月中旬頃から2週間、全校生徒の自由研究を拝見することも楽しみのひとつです。テクニックを駆使したアート鑑賞より、ずっと心が洗われ何とも言えない充実感や漲る活力を貰います。
しかしある年、沢山の自由研究の中で、手縫いの雑巾が2枚、埋もれるように展示されていました。他に付随する記録物がないため、雑巾の縫い方や素材の研究をしているとは考えられません。
このようなことから、自由研究は夏休みの宿題ではなく、学校での年間の課題にし、授業の一環としてじっくりと取り組める教科そのものになることが、私が現在考えられる最高の自由研究のあり方です。

自由研究




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