夢の途中
娘が、夢みて間もない全国ジュニアオリンピックカップの出場が決まり、東京辰巳国際水泳場が夢の大舞台に変わりました。競泳種目は、平泳ぎです。
振り返ると、家族の提案で娘が水泳を始めたのは、小学1年の5月。3年生までは週1回のペースで休みがちに
嫌々通っていました。そんな中、4年生になり上達をし始め週2回に増やし、同コースで泳ぐ高学年生や中学生よりも、早く泳ぐようになっていきました。
嫌々通っていました。そんな中、4年生になり上達をし始め週2回に増やし、同コースで泳ぐ高学年生や中学生よりも、早く泳ぐようになっていきました。
その頃、私が唯一親しくなりました水泳経験のあるお母様から、選手コースのある都内でも有数の(現在席の)クラブへ、娘を移すことを勧められました。娘と話し合い、その数ヶ月後に、紹介されたクラブへ移ることになりました。クラブを辞める同月、クラブ主催の東京エリア(8支店)大会で、娘は優秀選手賞を頂きました。この名誉ある賞と共に退会の日、コーチから「辰巳で再会しよう」と言われたことが、娘の更なる水泳への情熱に火がつきました。この時はまだ、辰巳で多く開催される大会に一度も出たことがありません。
新しいクラブでは、3,4歳から水泳を始めて、小学校低学年で既に週5,6日通うベテランの児童ばかりが在籍していました。その中でも水泳経験が浅い娘は、まじめに水泳に打ち込み、タイムを着実に更新し続けました。
そして、1年9ヶ月後の今日。この大会でまた自己ベストを更新しました。
帰宅して間も無く、彼女の部屋にはJOCのポスターはもうありません。
目標を新たに更新し、励んでいる姿を眺めながら、将来は何になるのだろうかと、水泳か体育の先生?、高速水着の開発者?それとも全く違った道でしょうか…
この短期間に、前に突き進む強い精神を水泳で培ってきました。
この短期間に、前に突き進む強い精神を水泳で培ってきました。
彼女にとって水泳を始めたことも、この家族から生まれたことは偶然であっても、今いる彼女は、本人がそう望んで今がある必然です。その部分を最も大切にしたい。
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