コサージュを作りながら

3月は卒業式、先日は入学式、春は人生の中で節目になる行事が続く。

幸い私には、活発で何事にも積極的な子供がいて、あらゆる学校行事を改めて体験することが出来る。

私の人生で最もラッキーだったことは、主人と子供に出会えたこと。

授業参観でもさまざまな生徒たちの様子を観ることも、新しい美術の教科書を読めることも、

何もかもが私のよい刺激と活力になっている。

そんなことを感じながら、子供の入学式用のワンピースに合うコサージュを制作した。


もともとは卒業式に使用した市販(シビラ)の黒いコサージュ(直径100mm)を

ただ漂白して白いコサージュにする、ひと手間だけのリメイクの予定だったが、

何度漂白を試みても黒は依然として黒のまま、1mmも動かない。

花心のパーツだけは白くなり、やがて粉々に溶け出し、花びらの表面を汚す存在に。

このコサージュの素材はポリエステル100%から成り、

ポリエステルは、漂白が出来ないことが後から分かった…。


白色の顔料はあっても、白色の染料はないため、

(顔料を、鉢などに入れてさらに細かくスれば、染料に近づくかもしれないが…)

既にある花びらを新たに作り直し、総入れ替えすることにした。

裏側の中央部は枝とピンが合体して花びらとの集合体になっているため、

完全に解体するのは避けたい。

入学式が迫っている上に、コサージュを制作したことがないため、ゼロからの制作では気が重い。

花びらの根本を数mm残して切り、取り除きながら白い花びらを植え替える作業を2週間程したか。


ここからが本番で、重要ポイント(1.2.3.)と考え、流れを要約する…


1.方向性と課題

 =コサージュの存在は脇役であり、身につける人間が主役だが、そもそも私自身が

本当の主役である子供達の晴れの舞台(入学式)の中の、小さな関係者に過ぎない。

そのため、コサージュの有無はどうでも良い存在であるにも関わらず、必要であるならば、

色彩もデザイン形態も「慎ましやか」な存在に徹する。


=作ることを選んだ理由を考えたとき、対比として機械で作れない要素を求めたい。

 野生的で全ての花びらの動きを生き生きと表情を付ける。たとえ現実の花が1輪に対して

 一様に同じ方向を向いていても、同じ色合いをしていても真似する縛りはない。

 自分らしさの先にあるリアリティーを追求する。



2.花びらの生地選びについて(5種類程)

・織り目は荒く緩く。厚みは薄い生地を選ぶ。

 =花びらの柔らかく繊細な動きを表現しやすくするため。

・明度差をつけ、陰影を表現する。

 =立体感をより強化するため。この要素はボリューム感にも繋がる。

・コサージュを付ける衣服の色を取り入れる。

 =コサージュと衣服との一体感や絶対的な関係性を成すために。

・軽い生地を選ぶ。

 =衣服に身につける部分の衣服の生地を痛めないように。

 =走るなどの振動や、風などにも影響を最小限にするために。

・既に着色をしないで済む


3.その他の準備

・利便性の追求(取り付け、外し方の容易さ早さ)

 =マグネットで瞬間的に服につけれるようにする。

・ボンド

 =水とボンドを1:1の比率で溶かし、花びらを固定していくが、

  そのままでは乾燥に時間がかかり重ねる作業が難しいため、ヒートガンも併用して作業する。

  また、ボンドの使い過ぎは完成の重量が重くなるため、針と糸も使用して固定する。



コサージュ作りに限らず、私の人生は独学そのもの。遠回りが多い。

そして、今回初めて制作したコサージュ作りも、やはり納得ができないまま当日を迎えた。

納得出来なかった点は、工房にあるありものの素材と道具で済ませる

リメイクやSDGsに拘り過ぎたため、過剰な時間がかかってしまったこと。

そのため、肝心の造形の仕上がりがコンパクトに収まり、身につける服との融合性や

大胆さと迫力を失ってしまった。

創作の仕上がり具合の良し悪しやクオリティの追い込みは、ラスト9割以降から始まることを

分かっているだけに、悔やまれる。

次は3年後の卒業式。もう3年切っている。





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