服の作者
私の母は3年ほど前からソーイング教室に通っています。
以前から実家へ戻る度に、新聞の折り込み広告を私に見せ、
「いつか時間が空くようになったらこのソーイング教室に
通いたい」と楽しそうに言っていました。ただその後も
なかなか始めない母に私は、「楽しい事って直ぐに実行
しないと、逃げていってしまうのよ、特に楽しい事は」と。
母はそのうち(自ら狭くしていた)狭き門を潜り、
最初の1年は、私のもとには、教室で与えられた
課題である基本パターンの服が次々と届きました。
その後も休む事なく勢力的に制作していた母は、
進歩も早く、そのうちに私のデザインしたものを
理想以上に素敵な服に仕上げるようになりました。
既成の服と違い、母が作った服は、サイズや色、生地、すべてが満足のゆくもので、
私と母の合作であり、世界にたったひとつしかない服を着ている時は
少しの自信が加わり、背筋もピンとします。
今では母は、私や姉、孫たち皆に服を作り喜ばれていますが、ただ当初から、
私自身が残念だと感じていたのは、一生懸命作った母の証である作品には、
タグ(サイン)がないということ。
あるとき届いたジャンパースカートには、その前後が直ぐ分かるようにと、
後ろの首もとに「I sewed this」と明記されたタグが縫い付けてありました。
その意味を知らなかった母に、意味を知らせた時は、何とも言いようのない無情な
気持ちが込み上げました。母の温もりを感じながら、その名が無いのはあまりに寂しい。
ただ、今朝届いたカーディガンを見て嬉しかった…、
新しいタグには「ORIGINAL Y.Sasamoto」と刺繍してありました。
以前から実家へ戻る度に、新聞の折り込み広告を私に見せ、
「いつか時間が空くようになったらこのソーイング教室に
通いたい」と楽しそうに言っていました。ただその後も
なかなか始めない母に私は、「楽しい事って直ぐに実行
しないと、逃げていってしまうのよ、特に楽しい事は」と。
母はそのうち(自ら狭くしていた)狭き門を潜り、
最初の1年は、私のもとには、教室で与えられた
課題である基本パターンの服が次々と届きました。
その後も休む事なく勢力的に制作していた母は、
進歩も早く、そのうちに私のデザインしたものを
理想以上に素敵な服に仕上げるようになりました。
既成の服と違い、母が作った服は、サイズや色、生地、すべてが満足のゆくもので、
私と母の合作であり、世界にたったひとつしかない服を着ている時は
少しの自信が加わり、背筋もピンとします。
今では母は、私や姉、孫たち皆に服を作り喜ばれていますが、ただ当初から、
私自身が残念だと感じていたのは、一生懸命作った母の証である作品には、
タグ(サイン)がないということ。
あるとき届いたジャンパースカートには、その前後が直ぐ分かるようにと、
後ろの首もとに「I sewed this」と明記されたタグが縫い付けてありました。
その意味を知らなかった母に、意味を知らせた時は、何とも言いようのない無情な
気持ちが込み上げました。母の温もりを感じながら、その名が無いのはあまりに寂しい。
ただ、今朝届いたカーディガンを見て嬉しかった…、
新しいタグには「ORIGINAL Y.Sasamoto」と刺繍してありました。
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